下田地車の紹介

永らく鹿島神社の山車殿に保存されていた下田地車。

六十年振りの復活に向けて、保存会が発足されました。
伝説とも呼ばれるその地車についての魅力をご紹介します。

下田地車の概要

制作年

だんじり大屋根裏の墨書によれば、製作年は嘉永7年(1854年)のものであると思われます。

寸法

  • 高さ:2m25cm
  • 幅:2m55cm
  • 奥行き:4m20cm
  • 大屋根奥行き:2m10cm
  • 大屋根幅:1m80cm
  • 小屋根奥行き:1m20cm
  • 小屋根幅:90cm
  • 舞台高さ:1m60cm

型式

段差勾欄堺型に準ずる

彫り物師

堺(彫又)一門 初代 枡屋又兵衛と思われます。
初代又兵衛は安永7年生まれ、文久2年(1778~1862)85歳で没。

主な作品としては

  • 現河内長野市小塩地車(元堺市新在家地車)
  • 現奈良県広陵町馬見大垣内地車
  • 現柏原市本郷地車
  • 現香芝市下田地車

などが今でも残っています。

彫り物・見送り三枚板

見送り三枚板と呼ばれる部分は、主に源平の戦いが主題となっています。

後部見送り

壇ノ浦の戦い 碇知盛(いかり とももり)

平知盛は清盛の四男。母は時子。清盛亡きあとは一門の軍事面を担っていました。

義経は平家の本営讃岐国屋島を攻めた際、平家は屋島を捨て長門の国彦島へ逃れました。壇ノ浦の戦いで、敗北を悟った平氏は次々と海中へ身を投じました。
総大将の知盛は「見るべき程の事は見た」と鎧二領を着て乳兄弟の平家長とともに入水(平家物語)。鎧二領でもまだ自分の遺体が浮きあがるのを怖れ、さらに碇綱をわが身に巻きつけたといわれています。
その物語は能「碇潜(いかりかづき)、謡曲(船弁慶)」や、浄瑠璃、歌舞伎「義経千本桜」等さまざまに取り上げられています。

右側見送り

壇ノ浦の戦い 平教経の最後

平教盛の次男である教経は一の谷の戦いで死亡したといわれていましたが、実は生存説もあり、その真偽は分かりません。

生存説によれば壇ノ浦の戦いに登場しています。
敵の大将である源義経と刺し違えようとするものの、逃げられた教経はもはやこれまで……と、太刀や鎧を脱ぎ棄てて仁王立ちとなり、組みかかってきた三十人力の土佐国住人、安芸太郎と次郎を左右に抱えたまま海に飛び込んだといわれています。

左側見送り

一の谷の逆落とし 義経と弁慶

摂津と播磨の国境の一の谷(現神戸市)において、源範頼・源義経の軍と平宗盛の平家軍との戦いがありました。
平家追討の院宣を受けた源氏は京都を出発し、一の谷へと出陣しました。
範頼が正面から、義経は背後から遠回りして攻めた奇襲戦略の「鵯越の逆落とし」です。
平家物語によれば、義経は馬2頭を落とし、1頭が駆け下った様子を見て先陣となり駆け降りたそうです。
予想もしない背後から奇襲を受けた平家は混乱し海側へ逃げたといわれています。

彫り物・部位

獅噛(しかみ・しがみ)
懸魚(げぎょ・けぎょ)

獅噛は獅子噛みともいわれ、大屋根の前後に獅子が嚙みついている彫り物です。厄除けや魔除けをあらわす意味があります。

懸魚は屋根に取り付けられる妻飾りです。下田地車には鉄拐仙人が施されています。
鉄拐仙人は不老長寿でおめでたいといわれ、山車や地車の彫刻によく取り上げられます。後方の懸魚には鳳凰が取り付けられています。

木鼻
(きばな・きはな)

木鼻には唐獅子が彫られています。
左に阿形、右に吽形。狛犬同様、対となっています。
阿は口を開けて生を、吽は口を閉じて死を表すといわれています。

車板
(くるまいた)

雲に宝玉をつかむ青龍。瑞祥の象徴で、麒麟、鳳凰、亀とともに四霊といわれています。

虹梁受け
(こうりょううけ)

持ち送りと呼び、壁や柱から突出して上部の部材や部品を支える構造をいいます。
彫り物は、左が姥と右が怪童丸(金太郎・後の坂田金時)。
源頼光が足柄山で金太郎と出会って、家来となり、のちに頼光四天王の一人になったといわれています。
出生の伝説では、母親が山姥 であるとの説、出生のとき母親は死んで山姥に育てられたという説があり、このだんじりでは左に山姥、右に金太郎と熊が彫られています。坂田金時は「金時豆」の名前の由来でもあり、息子の坂田金平は「きんぴらごぼう」で知られています。裏面の彫り物は菊花紋。

脇障子
(わきしょうじ)

裏表に異なる図柄が彫ってあるのが特徴の脇障子。

左側は藤原景清、上は美尾屋十郎、右側は熊谷次郎直実、その上に平敦盛(童顔)が彫られています。 

裏は左右とも鯉の滝登り。端午の節句の鯉のぼりの元になったもので、黄河上流にある龍門山を切り開いてできた急流を登った鯉は龍になるとの言い伝えがあります。龍門を登る、すなわち難関を突破すると成功が待っていると考えられ登竜門と言い慣わしがあります。

熊谷次郎直実と敦盛、藤原景清と美(三)尾屋十郎は平家物語に登場する人物ですが、ともに歌舞伎や能の演題で「敦盛」、「(悪七兵衛)景清」として有名です。

匂欄合
(こうらんあい)

幟差し
(のぼりさし・はたさし)

幟台
(のぼりだい・旗台-はただい)

泥幕
(土呂幕・どろまく)

家紋

引用元:「鹿島神社のだんじり」より 著者/森谷泰之

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